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ADMRコラム㉔ 戦国武将の「生き残り戦略」 

戦乱が収まった江戸時代。敵が攻めてくることはなくなったが、領国の運営は大変だった。物価が上がり、幕府に莫大な寄付を求められることもあった。とはいえ年貢を上げれば領民の一揆が起きかねない。 そこで新田開発を行い、増収を図る藩が多かった。「本業強化」である。しかし条件の良いところはすでに田畑になっており、そうでないところを開拓するのだから難しい。莫大な資金が必要で、うまくいかないこともある。幕府そのものも、江戸中期に権力を握った田沼意次が千葉の印旛沼の干拓に乗り出すものの、洪水もあり失敗。失脚の一因になったと言われる。 米以外のところに活路を見出そうとした藩も多い。「多角化」だ。阿波の藍染などは有名だが、ノウハウが少なかったり見通しが甘かったりして失敗に終わったケースも少なくない。収入が増えなければ借金は増える。年貢を上げれば反発される。幕府に睨まれれば領地を減らされたり、領地を代えさせられる。最悪はお取りつぶしだ。このため明治維新まで藩主が変わることなく継続できたところは多くない。 その中で新潟・新発田藩は、織田信長、豊臣秀吉の家臣だった溝口家が、明治維新までずっと藩主を務めた。外様大名では珍しく、明治維新の混乱も領民と連携して賊軍とならずに済んだと言われる。大大名ではないが、生き残ることについては歴代藩主が優秀だったということだろう。溝口家の家紋は新発田市の市章となっている。 ※このコラムは毎週水曜日に掲載いたします