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ADMRコラム92 その取り組み、「裸の王様」になっていませんか?
『裸の王様』という話がある。王様が「馬鹿者には見えない服」を着ているということで、王様の周囲の人みなが合意していたところ、無邪気な子どもが「王様は裸だ」と言ってしまうという話だ。
これをきいた人が全員、果たしてこのばかばかしさ笑えるだろうか。現実には、この「王様の周囲の人」になっている人が多いだろうし、中にはなぜそんなことを言うのかと、指摘した人を問い詰める人も出てくるのではないだろうか。
実際、職場では「余計なことを言うな」といった雰囲気で、放置されている問題は多い。社員に「どうにもならない」とあきらめられてしまっていたり、「なるようになるさ」とテキトーに考えられていたりすることだ。
例えば、何のために作成するのかわからない報告書。その意義がわからないので、作成するのが面倒だと感じ、後回しになっていないだろうか。遅れるので催促の連絡があり、あわててつくるが結果として日常業務に支障が出てしまう。
また、いつ作ったかわからないようなルールを、なんとなくいまでも適用してしまっているということもある。現場に行けば、司会は輪番だが、ありきたりな連絡が多く、結局管理職しか話さないような、形骸化した朝礼を見ることもある。
多くの人は、言われるからなんとなく続けているのだろう。これも十分おかしいのだが、中にはいまだに形骸化している取り組みをありがたがって、その形にこだわる人もいる。そういう人は、もし廃止を検討すると人生の終わりかのように、抗議してくる。
考えてみると、問題の本質は、手段が目的にすり替わってしまっていることだ。初めは目的を達成するための手段だったが、その手段を実行することが目的に変化している。つまり、ある数値を調べたいがために始めた調査だったが、その数値の重要性が薄れてきているにもかかわらず、かたくなに調査は大事だとして、報告書を上げさせ続けている。こうしたことが現場ではよく起こっているのではないだろうか。
だからこそ幹部や管理職は、形骸化しているとの指摘を受けたのであれば、素直に受け入れ、さっぱり廃止してみたり、持続可能な形に変化させたりする、柔軟性求められる。その際には、周りを巻き込んでよりよい形を構想するとよいだろう。そうすることで、傍観者を少なくし、みなが自分ごとのように取り組みについて考えることができるはずだ。
『裸の王様』に話を戻すと、確かに、子どもが指摘したことで王様はとんだ恥をかいた。王様思いの人は、王様にそんなつらい思いをさせるなんてひどいと考えるだろう。しかし、本来責めるべきは別の人だ。指摘した子どもは、王様が恥ずかしい思いをするきっかけをつくったのは間違いないが、王様の姿はそれでよいとした周りの人たちには責任がないのだろうか。
指摘を糾弾するのではなく、ときにはそれをよく吟味し、必要ならば受け入れられるだけの柔軟性が企業には必要だ。
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