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ADMRコラム㊸ なぜ「人生は無理ゲー」なのか?

なぜ「人生は無理ゲー」なのか?   先日、妻をXとしてみた。数学で使うXである。X=妻となるには、どのような条件が必要かと、妻にきいてみた。例えば、女性だとか、ボブっぽいショートカットだとか、などが挙げられるだろう。私が言いたかったのは、一つのことを定義するためには無数の定義づけが必要だということである。数字であれば、1や2に似たものはほとんどないが、現象だったらどうだろう。   職場の人間関係が良くなったとき、考えられる要因はいくつかある。裏で仲違いが解決したのかもしれない。組織の新たな目標ができたのかもしれない。今度は別の部署を共通の敵としたのかもしれない。このようなことが考えられる。それほど現象の要因を特定するのは難しい。 私の仕事は、これまでの仕事を含めて、効果測定が欠かせない。例えば、教育の世界で言えば、年度の初めに必ず自己紹介をする。学級の人間関係づくりがその目的だろう。だから自己紹介が関係づくりにどう寄与したかを、本当は測定しなければならない。しかしそれは実際のところ難しい。なぜなら自己紹介以外にも一緒に授業を受けることが人間関係づくりに寄与したかもしれないし、授業以外の休み時間が重要だったかもしれないからである。上の例のように、現象の変化を確認したとき、実行に移した取り組みのどれが効果があったのか、正確に把握するのは非常に難しい(だから私は意味のない自己紹介はあまり好きではない)。   理系の実験であれば、条件を揃えることで大体的確な答えを導き出せるだろう。それなのに組織など人間関係は条件を揃えることがそもそも難しい。近年若者を中心に口にする「人生は無理ゲー」というのは、社会で生きていくことが思い通りにならないことを表しているのだと思う。それはなぜ起こるのか。 恐らく「人間」という括りに無理があるのだと思う。妻をXとするのが難しいように、一人ひとり異なる見かけをしているし、もちろんパーソナリティが異なる。同じ男性50人集めた集団でも生きてきた人生が異なれば、全く違う集団になるだろう。それなのによく見かけるのは、本にあった事例をそのまま当てはめてしまう管理職、これまでの経験によって発動する「勘ピューター」、自分のときはこうだったと過去を振り返るなどである。上述の通り一人ひとり人格が異なると考えれば、これらの取り組みが当然おかしいと感じるだろう。 だからこそ、何でも多面的・多角的に捉える力が必要なのだ。私があえてやっているのは、全く門外漢の内容の本にあたるということである。私は上手に絵画を描くことができないが、最近デザインの本を読むことがある。デザインにはそこに込められた思いがあったり、効率的な仕組みがある。それが別の場面でも活用できそうな部分があるのである。 ちなみに、その後、Xにいくつ条件を足してみてもなかなか妻に行き着くことができないと話したところ、そもそも妻をXとしないでほしいと言われた。確かにその通りである。   ※このコラムは毎週水曜日に掲載いたします。またADMRではYouTubeで動画配信を行っています。ADMR公式チャンネルはこちらからご覧いただけます。 https://youtube.com/channel/UCqHCBS6u1aYsH4qSjM3MItA?si=zSaDUnfCg8GqMDDA