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ADNRコラム69「私的には~」の理由

 はじめて英語の学習をすると、「なんでやたらと主語を明確にするのだろう」と思ったことのある人がいるのではないだろうか。例えば日本語で「りんご食べたよ」とAさんが言っていたら、周りの人はAさんがりんごを食べたのだとわかる。しかしその場合でも、英語ならAさんは、“I”を使って説明するだろう。


 日本語には「主語」の意識が低いという説明をきいたことがある。だから英語を学んだときに、必ず最初に主語をおくことに違和感があったのだ。ディベートに代表されるように、自分の立場や主張を明確にするという英語圏の文化に対し、「和をもって尊し」とする日本人のメンタリティーの違いと言えるかもしれない。


 近年「私的には~」と前もって言う人が出てきた。若者に多く、言葉の乱れという指摘もあるが、これは「あなたの意見を尊重したよ」とエクスキューズしたいからだと思う。「私は、ディズニーランドが良いです」と「私的には、ディズニーランドが良いです」と言うのでは受ける印象が変わる。前者は「絶対にディズニーランドが良い」というニュアンスを感じ、後者には「私の希望に過ぎないが」という遠慮、よく言えば心遣いのような雰囲気を感じるのだ。この場合「別の希望があればそれでも良い」という展開にもつなげやすい。


 この主語をあいまいにすることが、彼らにとって一種の「優しさ」の表現なのだ。一応自分の希望は伝えるが、あなたの意見も尊重するという意味で、「私的には~」を使っている人が多いと推測している。一方で、自分の意見に自信がないことの裏返しでもあるのではないか。あくまで決定は相手ベースで、自分は意見を出すには出すが、引っ込める気も十分にあるという言葉遣いなのだ。


 しかし、主語をあいまいにすることで自分の考えまでもあいまいにすることが、本当に優しさなのだろうか。「夕食、何が良い」ときかれて、「何でもよいよ」と答えると怒られるというカップルの話がある。この場合言えるのは、相手に判断を任せることが本当の優しさではないということではないだろうか。「ハンバーグ食べたい」「いいよ」か、「麺食べたい」「それならそばが良いね」のようなコミュニケーションの方が、お互いの理解が深まると思うのだが、そこは避ける。自分の意見を否定されるのが怖いのかもしれない。


 相手を尊重することが必ずしも優しさではない。相手のことをよく理解した上で、「私はこう思う」と、自分の意見をはっきり伝えることも相手に対する思いやりだ。「私的には~」という言葉遣いには、そのような一種の「優しさ」を大事にしている若者の「自己防衛」テクニックを感じる。ただビジネスの世界ではそれが大きなトラブルにつながったり、相手を怒らせてしまったりすることにもなりかねない。それは意識した方がよい。


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