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ADMRコラム58 「残念な管理職」が生まれる理由
現場で実績を残して管理職になる。日本ではごく当たり前のことで、周囲も期待する。自動車ディーラーで言えば、営業、整備など、それぞれの部門で直前まで第一線で活躍していたのだから部下の気持ちはわかるし、なにより現場の”事情”に精通しているはずだから的確な指導ができる。客観的にみればそうなのだろうが、実際には必ずしも成功するとき限らない。
「どうしてできないの」実際に本人には言わないまでも、心の中では思っている管理職は少なからずいる。能力や適性は千差万別。自分では苦労することなくできたことが部下にはできない場合、どう指導していいかわからない。課題を克服する”ツボ”が、悩んだ経験が少ないから見つけられない。言われたことを感覚的に理解して実践できたから、理論として語ることができないとも言える。スポーツの世界で一流選手が指導者として必ずしも大成しないのもそのためだ。
管理職の専任でも大変なのに、これがプレイングマネージャーになると、より面倒なことになる。まずプレーヤーとマネージャーの業務比率。会社は部下を育てることを優先して、プレーヤーとしてはスタッフがカバーできないところを補ってほしいと考えていることが多い。人手不足対策のやむを得ない措置でもあるのだが、優秀なプレーヤーだった人は自分の「成績」にこだわってしまう。分かりやすく言うと、部下と張り合ってしまうのである。
自分はこれだけの実績をあげたのだから、みんなも頑張れと言いたい。「自分の背中を見て部下に学んでほしい」と言えば聞こえはいいが、これでは現場の時と変わらない。実績が落ちるのが怖いから、マネジメントを二の次にしてプレーヤーとして頑張ってしまう。そうでなくても難しい部下の育成は二の次になるが、自分が先頭に立って頑張れば部署の成績も上がるうえプレイングマネージャーとしてそれが許されている。だから、やり方を変えられないで部下が育ちにくい環境になってしまう。
日本のプロ野球で監督兼選手だった人は何人かいる。ほとんどがプレーヤーとして優秀だったが、監督兼選手で実績を残したのは野村克也氏くらい。野村氏は監督専任としてその後、何度もチームを優勝に導いた。マネージャーとして優れていたのは間違いないだろう。その野村氏も兼任時代は作戦・指揮のかなりの部分をヘッドコーチに任せていたという。それくらいプレイングマネージャーは難しいということなのだろう。
できない人の気持ちがわかって的確に指示が出せる。人手が足りない時にはプレーヤーとして人一倍頑張る。そんなプレイングマネージャーが理想だろうが、現実的には難しい。プレーヤーから管理職になったら、まず自分が「できたこと」ではなく「できなかったこと」を伝える。成功談より失敗談。専任管理職にせよ、プレイングマネージャーにせよ、過去の実績はひとまず置いて、そこから始める方が成功する確率が高いことは間違いない。
※このコラムは毎週水曜日に掲載いたします。またADMRではYouTubeで動画配信を行っています。ADMR公式チャンネルはこちらからご覧いただけます。